![]() 卒業! ついに修士号をもらう季節がやって来ました。実際には、ビザとリサーチペーパーの関係で夏まで卒業を延期したのだけど、きりが良いのでこのVirginia留学記も今回で最終回にすることにします。最終回のタイトルは「留学のススメ」。僕がこっちに来て考えてきたことと、それを基にした留学の良さについて書きます。 このブログを書き始めたのは、2005年の5月末。その後2年間で投稿した記事は201件に達しました。でも、その4分の3は1年目に書いたもので、どれだけ1年目時間があったのかが良くわかります。2年目は、リサーチアシスタントとNGOの仕事を掛け持ちしながら授業も3つ取っていたので、当然のごとくブログ投稿の時間は削られ、みごとに未更新ブログへと変身してしまいました。 2年目で何といってもきつかったのは、アシスタントの仕事。2人の教授についてたのだけど、そのうち1人はうちの研究科長で超過密スケジュールの下で働いている人物でした。彼女と僕の関係を例えて見せるなら、まさに映画「プラダを着た悪魔」に出てくる超売れっ子ファッション雑誌編集長のメリル・ストリープとその助手アン・ハサウェイの関係。さすがに「発売前のハリーポッターを持って来い」とは言わないけど、環境問題に対して彼女の意見に沿わない発言をした「メル・ギブソンとコンタクトを取れ」とか、「5万ドルの助成金取ってこい」とか言ったりして、何度冷や汗をかかされたことか。 すごく頭が切れて、語彙が豊富で、ユーモアがあるんだけど、服装はなぜかいつも全身黒。周りの学生からも「何でいつも黒着てるの?」と不思議がられてたりします。ただ、この「黒を着た悪魔」、勢いで物事を言ってすぐに忘れてしまう傾向があるので、そこが救い。アシスタントの僕としては、何度この忘却に助けられたか分からないくらいです(ラッキーなことに、メル・ギブソンも5万ドルも忘れてくれた)。 この黒を着た悪魔への仕事は、主にDCの犯罪について。白人と黒人コミュニティーがDCの犯罪をどう見ているのか、新聞や論文をあさって一年間ずっと調べるのが僕が任された仕事でした。今は、このリサーチプロジェクトの最終段階で、これからDCの市長、警察庁、コミュニティーリーダー、犯罪の被害者とのインタビューをする予定。メリルはこれを本にして出版したいらしく、夏もこの仕事が続きそうです。 でも、こうやって英語の海に浸かって当たり前のように仕事していると思わず忘れそうになるのだけど、2年前の夏僕は語学学校に居ました。その前の夏は、日本で机に噛り付いて「TOEFL英単語3800」をボロボロにするまで単語を暗記するただの単語オタクでした。大学院に入ってから何てもっと大変で、授業はもとより休み時間のクラスメートとの会話のやり取りだって何言ってるかわかんないもんだから、友達作るのにも苦労するし、パーティーで楽しむなんてもってのほかだったのです。 最も、苦労したのは言葉の面だけじゃなくて、文化の面でもそうでした。まず、アメリカ人との接し方が分かりませんでした。初めのうちは、「こいつはアメリカ人だから・・・」、「こいつは日本人だから・・・」と国籍のレンズを通してしかその人物を判断するとができず、文化と習慣の比較で頭がいっぱいだったのです。それを個性のレベルまで落とすのにはだいぶ時間がかかったかな。 こんな1年目の苦労が功を奏したのか、2年目は仕事に勉強にネットワーク作りと、忙しい日々が続き、ブーブー言いながらもそれを楽しむことができたように思えます。毎日朝から晩までオフィスに居て、「ICARの住人」と化していたので学内での友達や知り合いの数も1年目と比べたら×10くらいのスピードで増え、みんなが「誰それ?」と聞き返してくるくらいのレアキャラとも話すようになったのです。こんな事、授業と家と図書館を往復していた1年目じゃ考えられませんでした。 ただ、言語の面での苦労が少なくなったからといって、それで安泰かと言えば、全くもってそうじゃありません。海外に居る限り、その国の言語ができるのは当たり前で、むしろ、ネイティブを含めた競争相手とどう闘っていくかが重要になってきます。対ネイティブでは言語面が確実に劣るので、当然それを上回る仕事の力量、専門性、知識が必要となり、相手と同じことをしていてはまず勝ち目がありません。ただ単に授業でAを取ることに集中するのではなく、相手に対して自分をどう売り込むか考えながら日々生活して行かなければ生き残れないのです。 「留学して良かったことは?」 昔、ルームメイトと話していて、こんなことが話題になりました。そこで2人が共通して出した答えは、「人と話すようになったこと」。日本に居たときと比べれば、会話の量がかなり増えたということです。話すことが求められる環境の中でそうなるのは当然のことかもしれないけど、無口な自分としてはこのシンプルな答えが一番の成果かなって実感してます。 留学することの2つ目の利点は、以前にも書いた自分との対話。留学中はやたらと自分と向き合う時間があるので、言語の壁に始まり、アイデンティティークライシス、将来のキャリア形成など色々考えられます。 3つ目は、出会い。これも前に書いたのだけど、最近の一番大きな出会いは、平和学の創設者ヨハン・ガルトゥングでした。僕たちの分野では、彼のことを知らない人はいないくらい有名なのだけど、教授のうちでガルトゥングとディナーしたとき、僕は彼が言ってることがほとんどわかりませんでした。英語の問題というより、それは知識の差。僕の知らない固有名詞が連発されたのです。同じ分野で2年も勉強したにも関わらず。もっと勉強しないとな、と改めて思わされたのです。 上に書いた通り、留学というのは骨が折れることが多いですが、そこから得られる果実は最初に思い描いたものよりも、大きく実りのあるものです。でも、もっと簡単に言ってしまえば、留学の良さというは海外に住む楽しさというのにつきます。語学の習得に近道は決してなく、それには多大な苦労を要するのですが、そこで挑戦したという事実に裏付けられた充実感は日本に居ては得られないように思えます。昔絶対出来ないと思っていた夢物語のようなことが、少しずつ現実味を帯びていく―。海外へ渡ることが自分のニーズを満たしてくれるものなら、僕はそう思う人全員に留学を勧めます。 僕の留学生活を振り返ると、1年目は環境への適応でもがき、2年目はその環境を楽しみ、そしてこれからは環境を変えるのにもがいていくように思えます。夏は、仕事と勉強の合間を縫って、車でアメリカ大陸横断とかするけど、その後はどっかの紛争地に行くことを今は考えてます。南アジアかアフリカらへんの。そこで、3年くらい経験が積めたら最高かな。 最後に、今回の大学院留学は、多くの人からのサポートがあって実現することができたと実感しています。心理的・金銭的サポートをしてくれた両親、気合を入れてくれた語学学校の先生・クラスメート、今でも良い関係が続いてるGRE組の戦友、常にアドバイスや刺激をくれた大学時代の先輩・後輩・友人、ロータリー財団の関係者、スポンサーの家族、こっちで出会ったクラスメート、友人、先生、スタッフ、日本人の人たちに、アホなルームメイトたち。こうした人たちの協力なくして、紛争解決学修士号の取得はあり得ませんでした。 ありがとう。 ブログはそのうちまた書き始めると思いますが、次はきっと英語で書くことになると思います。そのときは、ここにリンクを張ります。 いつも読んでくれた人、コメントくれた人、更新しないのに毎日クリックしてくれた10数名の方々、Virginia留学記を読んで頂きありがとうございました! この記事スバラシイ。ブラボー。
Gun Law Pragmatism 訳す時間がないので、ちょっと抜粋だけ。 Our country is a laughingstock on the rest of the planet because of our devotion to unlimited gun rights. The Politico newspaper, using figures from the Center for Responsive Politics, reported that in the 2006 elections, pro-gun groups gave $962,525 in contributions and groups considered "anti-gun" gave $49,090. Republicans received 166 times as much money from pro-gun groups as from anti-gun groups. Democrats received three times as much from pro-gun as anti-gun groups. Who owns Congress? Why are our politicians still cowering before the gun lobby after Virginia Tech? 銃社会アメリカでこういった事件が起こるのは不思議ではない。
今週月曜のバージニア工科大学構内における銃乱射事件に対する大方の外国人の反応は、こんな感じではないでしょうか。事件発生から日数が経過するにつれ、徐々に最初の世間の関心ごとであった、被害者の数・氏名、犯行に使われた銃2丁の入手ルート、そして、チョ・スンヒ容疑者の素顔が徐々に明らかになってきました。一方で、遅々として進まないのが銃規制に関する議論。今回のような銃乱射事件は過去に何度も起こっているにも関わらず、米国議会で議論されているのは、せいぜい大量殺人を可能にする半自動式の銃規制を行うかどうかです。1強力なロビー団体である全米ライフル協会を前に手も足も出ない議員たちは、ホワイトハウスのリーダーシップを期待するばかり。ところが、肝心のそこの長が銃所持に積極的とあっては、今後ともこの国の「銃文化」は長く続きそうです。2 バージニア工科大は、うちの大学のメインキャンパスから南に400キロの場所にある大学ですが、この一帯ではその大学名を知らない人はいないほど有名な大学です。同じ州にあることから、ジョージメイソン大も追悼の意を伝える声明を出したり、学内に被害者の関係者にカウンセリングサービスを提供し始めたりし、事件の影響はこちらのキャンパスまで伝わってきています。また、報道の第一報では「バージニア内の大学」とだけ報じられていたため、うちの大学に保護者からの問い合わせが殺到したそうです。 4月17日、18日付けのワシントンポストには、この事件が一面で大きく報じられました。そこには、「イラク」の文字も、「イラン」の文字も、「テロリスト」の文字もありません。これらの単語が一面に一つもない日は、少なくとも僕が記憶している限りこの半年で一度もありません。「単独犯による銃乱射事件としては過去最悪の死者数」を出した事件だけに、米メディアの取り扱いもとりわけ大きいようです。 報道が被害の追及から、事件発生の原因究明に移るにつれ、一連の報道の論点は4つに分かれてきました。 1. 犯人はどうやって銃を入手したのか? 2. なぜ最初の発砲で全授業を休講にしなかったのか? 1) 警備担当者の責任追及 2) E-mailによる情報伝達の限界性 3. 韓国系アメリカ人への影響 4. なぜ犯人は大量殺人を犯したのか? 銃の入手先については、17日付けのポスト紙が詳しく報じており、同記事では短時間で大量殺人を可能にした半自動式の銃(9mm GlockとWalther P22)の詳しい説明がなされています。3大学側の対応については、出張先の日本から文字通り「とんぼ返り」で帰国したケイン・バージニア州知事が独立調査委員会を設置すると声明を発表し、こちらの方で何らからの決着がなされるでしょう。韓国系アメリカ人への影響は、うちの大学の声明の中でも言及され、アジア系学生に対する人種差別に発展しないように配慮されていました。僕が住む北バージニアは、韓国系アメリカ人が多く住む地区ですが、そこでは事件後すぐにコミュニティー集会が開催されたようです。4これは、僕が日々感じていることなのですが、アジア人というのはアメリカ社会の中に完全に組み込まれていて、人種の壁というのは感じたことがありません(それよりも、僕にとっては言葉の壁の方が大変です)。故に、今回の事件で韓国系もしくはアジア系への風当たりが強くなるとは考えがたい、というのが僕の意見です。 しかし、世間一般の一番の関心ごとは、犯人の殺害理由を問う「Why?」部分です。チョ容疑者の寡黙な性格、奇妙な授業態度、犯行中に撮られたビデオクリップ¬――。この系統の情報をかき集めれば、確かに一定の仮説は立てられるでしょうが、これは考えるだけ時間の無駄であって、どんな彼の背景も決定的な説明になることはまずあり得ません。それに、大量殺人を犯す犯人は共通して、「95%が男性、一匹狼、社会から疎外感を感じている人物」であることはこれらの情報が公にされる前からわかっていました。5確かに、心理学の分野で先を行くアメリカには大量殺人を専門にする学者もいます。しかし、その研究が始まったのはわずか20年前。まだまだ解けない謎が数多くあるのです。さらに多くの場合、大量殺人を犯した犯人は、自殺してしまうか射殺されてしまうので、インタビューを通じた分析ができず、研究が難しいと言われています。神経解剖学の分野でも「銃乱射の行動原因を突き止めることはできない」(マイケル・ウェルナー・ニューヨーク大学心理学助教授)とされるほどです。6 事件に関連した報道で、確実に抜けているのは銃の所持に関する議論です。ワシントンDC圏内では、銃を使った犯罪が一日一件は起こります。これらは、ワシントンポストのメインページであるA面には行かず、メトロ面の事件一覧に載るマイナー記事です。多くの事件は、アフリカ系アメリカ人が多く住むDC北東部、南東部、それからDCのすぐ南に位置するメリーランド州のプリンス・ジョージズカウンティで発生していますが、銃を使った犯罪は日本人がよく訪れる場所でも起こっています。例えば、昨年の5月と7月には、観光客が集うモールで12件の強盗が発生し、銃(実際はモデルガンだったが、銃と同じ脅威を与えると見なされ、同等の判決が下された)を保持していた青年は懲役120年、最後まで罪を認めなかった17歳の少年は懲役41年を宣告されました。7また、バーが集まるアダムス・モーガンでも今年2月に白昼堂々の発砲事件が起き、男性2人が負傷しました。8DCは、アメリカでも珍しく銃の所有が禁止されているのですが(おかしな話で、DCのストリートは銃を持って歩くことはできないけど、同じDCの中にある連邦政府の建物は、連邦政府の所有なので銃持込OKらしい)、昨年1月から9月までの強盗数1,927件のうち、3分の1強である773が銃を使った犯罪だったのです。9今回のバージニア工科大銃乱射事件に限らず、銃を使った犯罪はこの国で日常茶飯事なはずなのに、これらの報道がメインページで取り扱われることはまずありません。それだけに、外国人はおろか、(DC北東部・南東部、プリンスジョージズ在住以外の)アメリカ人でさえ自分の周りで何が起こっているのかよく知らないのです。ここでは、銃犯罪は日常過ぎるほど日常なはずなのに。 そんな中で起こった今回の事件。何をどうすれば良いかは明確なはずです。イギリスの心理学者ケイス・アシュクロフトはインタビューでこう述べました。「アメリカでこうしたことが起こる理由は、武器へのアクセスがあるからだ。そこでは、スーパーに行って強力なオートマチックの銃を手に入れることができる。ある人物が気落ちしていて、武器へのアクセスがあればその手段を使って人を殺すだろう。実に単純なことだ」。10 アメリカで銃規制が一向に進まない一つの原因は、武器の所持が憲法で認めれれているからです。 合衆国憲法修正条項第2条 A well regulated militia being necessary to the security of a free State, the right of the People to keep and bear arms shall not be infringed. もう一つは、全米ライフル協会の政治的影響力です。彼らはこう主張します。 「自動車の運転は憲法上正しくない。なぜ、憲法上正しい銃の所持が問題なんだ」。11 これは、事件直後のホワイトハウスで開かれた通常記者会見における大統領ペリーノ副報道官の記者の質問に対するコメント。 As far as policy, the President believes that there is a right for people to bear arms, but that all laws must be followed. 12 2年住んで改めて思ったけど、やっぱこの国オカシイ。
ばたこさんへの回答が長くなりそうなので、本文に書きます。
1.米国議会による慰安婦問題非難決議の強制力について もちろん、今回の非難決議は一国によるものなので、本会議で可決されたとしても何ら強制力はありません。むしろ、日本の反発を煽り、謝罪拒否もしくは解決済みという姿勢を強めるだけにしかならないと思います。 2.紛争解決学から見た慰安婦問題 慰安婦問題は、他の歴史問題(靖国参拝、雄就館、教科書など)とは異なる特異性を持っています。というのも、ばたこさんが言うように、これはジェンダー、つまり、レイプを扱う問題だからです。レイプはその恐ろしさのために、科学者の中でも研究しにくいと言われる分野で(その一つは、データとしての証言が集めにくいこと)、このことが慰安婦問題の解決を難しくしているのは事実です。 また、レイプが起こる原因を社会・文化ではなく人間の本性に求めると、その本性を持つ男性が支配している社会では解決が難しくなるという解が導かれることになります。 文化人類学者の中で女性支配の社会と分類化されている北欧諸国で同じ問題が起こったとしたら、解決はより簡単かもしれません。ただ、このジェンダー説を立証するためには、戦時下で従軍慰安婦が存在していた地域との文化的比較が欠かせません。また、日本と近隣諸国間での慰安婦問題と他の歴史問題との解決の進み具合の違いを比較し、ジェンダー説を立証するのも可能かなと思います。 慰安婦問題を紛争解決学的に位置づけると、紛争後のReconciliation(和解)へ向けた一つの段階となります。一般的に、紛争後は3つの段階を辿ると言われています―1.Conflict Settlement(停戦)、2.Conflict Resolution(紛争解決)、3.Reconciliation(和解)。 まず、停戦には、停戦合意などを基にした両紛争当事者の利益を確保する紛争の正式な終結が必要です。この段階では両者の利益は非対照的でも構わず、また合意も社会全体を含むものではなく、政府間に留まります。紛争解決では、紛争の根本的な問題にアプローチすることが要求され、両者のBHNを満たす必要があります。ここでの友好な関係は政府間に留まらず、両社会を巻き込んだ相互的合意を必要とします。最後の和解の段階は、相互の正当性(Legitimacy)に基づいた調和的な関係の発展を目指し、お互いの社会における心理的、社会的、政治的行動を変え、安定した恒久の平和にたどり着くことを目標とします。ここにおいては、当事者間で新たな主張(賠償・謝罪請求など)が出てくることはありません。 この3つの分類に今の日中韓を大雑把に当てはめると、こうなります。 1.停戦―1965(日韓)、1972(日中) 2.紛争解決―現在 3.和解―? つまり、日中韓は現在和解に向けて進んでいて、慰安婦問題はその中にある一つの障害と言えます(ちなみに、和解を達成したとしてよく出される例は、ドイツと南アフリカ)。 この和解に重要とされるのが加害者による被害者へのApology(謝罪)で、これは被害者が加害者を許し、過去の敵に対する否定的な感情を変える作用があると言われています。謝罪の定義は、Bar-Tal とBenninkによれば “a formal acceptance of responsibility for the misdeed carried out during the conflict and an appeal to the victims for forgiveness” (Bar-Tal and Bennink, 2004: 28-29)、Tavuchi によれば “apology is a speech act that seeks forgiveness” (Tavuchis, 1991:27)、Cohen によれば “apology…is useful for removing misunderstanding in an expeditious way and restoring harmonious relations” (Cohen, 2004:189)です。 紛争解決学は、歴史学者と違って「あった、なかった」の議論はしませんし、法律学とも違って「あなたが正しい」ということを決めたりもしません。むしろ、当事者の「対立」自体に焦点を当て、それを双方のJusticeが達成される形で解決を試みようとします。慰安婦と日本政府が対立しているのであれば、その対立がなくなるように努力するのです。 そういった意味で、日中韓の和解に向けた障害である従軍慰安婦問題が解決しない理由は、和解に必要とされる謝罪が被害者のforgivenessを満たすかたちで行われていないから、といえます。日本政府が謝罪を繰り返さないのは、ジェンダーを含む問題だからかもしれないし、ナショナリズムの高まりがあるからかもしれないし、リーダーシップが欠如しているからかもしれませんが、よくわかりません。ただ、はっきり言えることは、解決を目指すのであれば日本政府による新たな謝罪が必要となってくるということです。
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